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尾崎豊2世「尾崎裕哉」が初ライブでオリジナル曲披露! [音 楽]

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1992年に亡くなったシンガー・ソングライターの尾崎豊さん(享年26)の長男、尾崎裕哉さん(26)が完全オリジナルの楽曲で初ライブを観客の前で披露しまいした。裕哉さんが父・豊さんが亡くなった26歳の年と自分がその歳になった年に偶然なのか?自ら「尾崎裕哉」としてライブハウスからアーティストとしての一歩を踏み出した。


今までに裕哉さんは、「尾崎豊さんの息子」として父の「尾崎豊特別展」で歌ったり、音楽ユニット 「Crouching Boys」の活動でステージに立つことがあったが、「尾崎裕哉」としてオリジナル楽曲のみで、ライブをこなすのは、今回が初めてです。

大阪のライブハウス「ミナミ・DOROP」は入場制限が掛かる程の超満員で、観客250人の前で裕哉は「どうも、こんにちは。初めましてですね、これが初ライブなんですけど」と笑顔であいさつをし観客をわかせた。

今回、裕哉が参加しているのは、毎年秋に大阪のFM802局が開催している「MINAMI WHEEL」というイベントで、ミナミに集まるライブハウス約20店舗で400以上のアーティストが出演するという、今やミナミ恒例のお祭りになっています。裕哉さんは「父の始まりは新宿のルイードというラブハウスでしたけど僕の始まりもそれと、似た感じですね」と初ライブを終え、笑顔で答えた。


ライブには「Moon Light」などオリジナル5曲を披露しました。「全部、オリジナルで人前で歌うのは初めてで、人前で歌うのも両手で数えられるぐらいです」2004年の父、尾崎豊さんの「トリビュートアルバム」ではHIRO」と名乗りバンドメンバーとして「15の夜」を熱唱しその歌声にファンが驚愕していた。




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裕哉さんは大学生の頃から楽曲の制作を本格的に始めており、詞の大切さや語りかける様に歌う姿は、父親譲りで、甘い歌声や裏声の使い方、かすれ方や伸びやかな歌声など、さすがに尾崎のDNAを持っている事が完全に証明されている。

真似るのではなく違和感のない自然な声が絶妙に尾崎豊さんを思い出させる。裕哉自身も「そうですかね。ありがとうございます。確かに、来てくれたお客さんも、父の世代の方が多かった気がしました」と嬉しそうに答えた。


音楽活動が遅れていたのは「大学の勉強が好きになっちゃって専念してました。でも何か、社会にメッセージを発信していく方法は音楽だけじゃない。何がいいのか、ずっと考えていたら、この年になってしまった」と答えた。

尾崎豊の息子と言われるのは「でも、そうじゃなきゃ、こうしてお客さんやメディアが取材に来て頂けないですよね」と現実を受け止め冷静に分析している。

初ライブを終えての感想は「思ったより、人が集まっていて、気持ちよかったです」と初ライブなのに何度もこなしてきた様な答えが返ってきて度胸の良さをの覗かせた。

今後の活動は「まだ、デビューもしていないんで、これから頑張って早くデビューしたいなと思っています」とメジャーデビューに向け、楽曲の制作活動に入る事を話していました。




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